2011年3月に起きた東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウン・爆発事故からこれまでの日々、私たちはどれほど多くの涙を見てきたことでしょう。それは、過去・現在・未来にわたって安心して生きる権利を奪われた人々の怒りの涙です。これまでの日々、私たちはどれほど多くの涙を流してきたことでしょう。それは、核の領域に踏み込んだ人間の愚かさと傲慢さに打ちのめされ、そして次の世代に手渡すのは、放射能に汚染された世界だと気づいた時に流した自責の涙です。私たちはこのような事態にまで至らせたことを大いに悔いています。では、この国や電力事業者はこの無数の涙を誠実に受けとめ、自らの責任を取る選択と覚悟を私たちに示してきたでしょうか。答えは否です。
福島の事故が物語るように、原子力政策は多くの犠牲を生み出し、人として守るべき倫理に極めて大きく反し、平和に生きる権利を脅かすものです。私たち宗教者、信仰者には、人間の歴史において築き上げられた叡智を過去から受け継ぎ、未来に生きる人々に手渡す責務があります。同時に、核がもたらした悲劇を未来において繰り返させない責務もあります。今を生きる子どもたちに被ばくを強要し、これ以上、次世代に核のゴミを押しつけるわけにはいきません。
今こそ、宗教者、信仰者の実存が問われています。ドイツが倫理を尊重して政策の見直しをしたように、私たちは単なる科学技術論だけではなく、宗教倫理からも政策の転換を訴えます。そして、最も環境汚染の避けられない再処理工場を始めとする核燃料サイクル(プルトニウム利用)事業の廃止を求め、日本原燃株式会社を被告とする裁判を東京地方裁判所に提訴します。
私たちは自分の信仰を賭して、共に立ち上がり、司法の扉を叩きましょう。
2019年10月20日
原子力行政を問い直す宗教者の会